横浜流星の空手世界一はいつ?流派や型に辞めた理由についても!

横浜流星の空手世界一はいつ流派や型に辞めた理由も

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映画「春に散る」やドラマ「あなたの番です」といった多くの場面で活躍する俳優「横浜流星」。

ボクシングのプロテストに合格した横浜流星さんは、空手をしていたためキレ・迫力のある演技をすることもできます。

空手では世界一を達成したこともあり、見た目のカッコよさだけでなくたくましさに世の女性を虜にしています。

空手世界一の称号を獲得した横浜流星さんですが、どの流派や型でいつ世界一に輝いたのでしょうか。

そこでこの記事では、

✔横浜流星空手世界一はいつ
✔横浜流星の空手の流派や型
✔横浜流星が空手を辞めた理由

上記を取り上げていきます。

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目次

横浜流星空手世界一はいつ?

空手世界一の横浜流星
空手世界一の横浜流星

空手世界一に輝いたと言われている横浜流星さんですが、いつ頃の話なのでしょうか。

空手世界一はいつ

横浜流星さんが空手世界一に輝いた時期は、2011年11月開催「第7回国際青少年空手道選手権大会」の13・14歳男子、体重55kg以下の部です。

2011年11月というのは、横浜流星さんが中学3年生(当時14歳)であり、空手を始めて約8年という期間です。

優勝後のインタビューでは、

「高校受験を控えているためあまり空手の練習に行けなかったですが、支部の先生の指導や親の支えがあり、優勝することができました。」

「体力があまりないので後半にラッシュすることを心がけました」

という、親と先生への感謝や意識したことを述べていました。

初段(黒帯)を所持している横浜流星さんですが、当時の練習については

「空手の練習は超ハードで特に『打たせ稽古』はキツい!立ったまま先生にひたすらローキックされる稽古で、必死で我慢していたらそのまま失神したこともあった」

引用:モデルプレス

と述べています。

ただ、空手の稽古があったからこそ、横浜流星さんは打たれ強い選手になることができたのでしょう。

世界一を獲得するレベルなので様々なスポーツをこなせそうな気がしますが、

「球技がマジでできないので。サッカーやバスケとかやってみたかったですね。本当に引かれるぐらいできないです」

引用:日刊スポーツ

本人曰く、球技が苦手と述べており、空手がベストマッチのスポーツだったみたいですね。

空手での努力を積み重ねてきたからこそ、俳優としても成功したのだと考えられます。

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横浜流星の空手の流派や型

空手の練習をする横浜流星
空手の練習をする横浜流星

小学1年生の頃から、空手をしていた横浜流星さんですが流派や型は何だったのでしょうか。

空手の流派

空手は大きく分けて2種類あり、伝統派空手とフルコンタクト空手に分けられます。

横浜流星さんが行っていたのはフルコンタクト空手であり、その中の極真空手という流派です。

極真空手とは、

「頭は低く目は高く口慎んで心広く、孝を原点として他を益する」

引用:国際空手道連盟極真会館

という理念の元に作り上げられた地上最強の武道空手と言われています。

極真空手は実際に相手に攻撃を当てるフルコンタクトルール(直接打撃制)を採用しており、相手に触れることのない伝統空手に比べて、攻撃を当てることにより自分の技の完成度を知ることができます。

極真空手で世界一を獲得した横浜流星さんは世界一を獲得する上で「続けることの大切さ」を学んだみたいですね。

空手の型

極真空手で世界一となった横浜流星さんの型はどういったものなのでしょうか。

フルコンタクトルールのイメージが強い極真空手ですが、も存在します。

型とは、1人で行うものであり、決められたモーションをどれだけ綺麗にこなすことができるかというものです。

極真空手の型の特徴としては、

  • ゆっくりと動く
  • 重心が低い
  • 技の精度が高い

といったことが挙げられます。

キレやスピードを重視している伝統空手と比べて、ゆっくりと1つ1つの技の重さを重視した型になっています。

2020年第44回エランドール賞で新人賞を受賞した横浜流星さんは、

「狭いので、つまらないことしかできないですけど…」

と言い、嬉しさを型で表現していたみたいですね。

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横浜流星が空手をやめた理由

今では、俳優として有名な横浜流星さんですが、空手選手としても活躍し、有名になれる実力は十分にありました。

ではなぜ空手を辞めてしまったのでしょうか?

横浜流星さんが空手を辞めた理由を2つ取り上げていきます。

理由①俳優業の楽しさを覚えたから

横浜流星さんが空手を辞めた理由1つ目は、俳優業の楽しさを覚えたからです。

「烈車戦隊トッキュウジャー」のトッキュウ4号役を演じていた横浜流星さんは、

高校1年生は友達と少しヤンチャをして、高2からは仕事に捧げていました。本当に、「トッキュウジャー」で「この世界で生きていこう」と決めました。

1年間、作品と役と向き合うことってないじゃないですか。

それを経験させてもらってみんなで作り上げてく楽しさと芝居の楽しさを学んで、そこで芝居をやりたいって気持ちが芽生えて…

引用:モデルプレス

と述べていました。

高校2年生という青春時代をすべて烈車戦隊トッキュウジャーに捧げたことからも、この作品は「自分の原点」だったみたいですね。

しかし、烈車戦隊トッキュウジャーに出演した後はオーディションに落ち続けてしまい、約半年間まったく仕事がありませんでした。

トッキュウジャーのときの戦隊芝居、すなわち大げさに芝居をやってしまったことが落ち続けた原因だと振り返っています。

その後、「戦隊ものでは正解だけど他には通用しない」と学び、演技に悩んでいたときに参加していた芝居のワークショップにて「基礎から学び直していこう」と決意しました。

トッキュウジャーに出演したからこそ、今の横浜流星さんがあり、自身の成長につながったと考えられます。

理由②両親からかけられた言葉

横浜流星さんが空手を辞めた理由2つめは、両親からかけられた言葉です。

高校3年生だった横浜流星さんは、進学か空手か俳優かで悩んでいました。

そのときに両親に相談すると、

流星が今やりたいことは何なんだ。人生一度きりなんだから、やりたいように好きなように生きなさい。

引用:モデルプレス

と言われ、この言葉のおかげで「自分は芝居をやりたい、だからこの世界で生きていこう」という覚悟を決めました。

俳優業界に入ったものの、2019年8月9日に放送された「アナザースカイII」では、今田耕司さんからの「アクションはやってみたいでしょ?」という質問に対して、

「自分の特技はどこかで生かせれたら」

と述べていたため、空手が嫌になったというわけではないみたいですね。

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まとめ

今回は、『横浜流星の空手世界一はいつ?流派や型に辞めた理由についても!』ということで、空手世界一の過去を持つ俳優の横浜流星さんを取り上げました。

どうでしたでしょうか。

  • 中学3年生(当時14歳)で空手世界一
  • 流派は極真空手
  • 型は重さを重視したもの
  • 空手が嫌で辞めたわけではない

ということが分かったと思います。

これからも横浜流星さんの特技である空手での経験を使用したドラマや映画は出てくると思うので、ぜひチェックしてみましょう。

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